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イッタラ

2013.02.04

イッタラ(Iittala )は、「現代的な北欧デザイン」による家具やテーブルウェアなどを専門とするフィンランドのデザイン企業であり、北欧を代表するブランドです。

熟練職人による美しい吹きガラスと流行に捉われないデザインで、多くのファンに支持されています。

現在、イッタラグループは、アラビア、ハックマン、イッタラ、ボダノバ、ホガナス・ケラミク、ロールストランド、ホヤング・ポラリスなど、多くの企業を子会社として抱えています。

イッタラが製造している製品のなかで最も有名なものは、フィンランド人の建築家アルヴァ・アアルトが1936年以降にデザインした、「アアルトの花瓶」と呼ばれるガラス器は、翌年パリ万博にも出品された傑作です。これは、老舗レストランであるサヴォイの花瓶としても良く知られています。これは、花瓶としてはもちろんですが、オブジェとして飾っても良いものです。誕生から約80年経過した現在でも、イッタラ村の職人達の手によって生産されています。

 

また、ティーモ・サルパネーファが1850年以降にデザインしたガラス器も有名です。

ちなみに、イッタラのブランドロゴは、サルパネーヴァが1956年にデザインしました。

イッタラは、ピーター・マグナス・アブラハムッソンがガラス工場を設立した1881年に創業しました。創業した当初は、フィンランドに利き腕のガラス吹き職人が不足していたため、どうしても、隣国スウェーデンの労働力に頼るしかない状況でした。

イッタラは、1917年にカルフラ・ガラス工場が所有していた製材会社A・アールストロームに買収されたため、1950年代まで、カルフラ=イッタラという名前で製品が販売されていました。

カルフラ=イッタラ工場は当初、主に、化学実験やランプオイルなどで用いられるボトルを製造していましたが、一方、一部では、家庭用の商品も生産していました。

その後、1920年代から1930年代にかけて、イッタラは、家庭用品の生産を継続するだけでなく、同時に、もっと実験的で芸術的な商品を作るベンチャー企業へと拡大していきました。

最初の頃のの成功事例としては、アイノ・アアルトのガラス器があります。そして、後にはアルヴァ・アアルトのガラス器も成功しました。

第二次世界大戦では、冬戦争と継続戦争の間に、イッタラは、材料不足と労働力不足が原因で生産中止に追い込まれてしまいました。

しかし、1946年に生産を再開することができ、その後、事業はどんどんと繁栄して行きましたが、1970年代の石油危機の際には、またもや製造が困難な状況に陥ってしまいます。当時、フィンランド国内におけるガラス器のマーケットは、国外からの輸入ガラス器との競争が激しさを増していきました。

1987年になると、A・アールストロームは、イッタラをユリアラにあるヌータヤルヴィ・ガラス工場の大株主であった、バルチラ社に売却しまします。バルチラはイッタラとヌタヤルヴィを合併し、イッタラ=ヌータヤルヴィを設立しました。

1990年になると、イッタラ=ヌータヤルヴィはハックマン社に買収されることになります。ハックマンは同時に、他のホームウェア・メーカー(アラビア、ロールストランド=グスタフスベリ)も買収しました。

2003年、ハックマン社はイッタラに改称します。そして、2004年にはABN AMROキャピタルの傘下になりました。2007年より、フィスカルズがイッタラの97%の株を保有しています。

イッタラは、現在も世代を問わず愛用される製品を生産しています。食器は非常に高性能、高品質ですが、手頃な価格であることも多くの人に支持されている理由の1つです。

また、イッタラのガラス製品はカラフルな色彩が特徴ですが、形が同じものでも色によって値段が変わります。無色透明のシンプルなものより、2色のものや、赤や黄色の方が値段が高くなります。

特に、イッタラのテーブルウェアは、飽きがこないデザインです。

中でも特にイッタラ ティーマは人気が高く、自宅にあれば、来客があった時に、きっとセンスの良さを褒められますよ。

最近は、イッタラ専門のショップや店舗に行けなくても、通販でセールをしていたりするので、お手頃価格で手に入ります。